閉じた日記こじ開けて続きを書きたがってる。たった1人で。


もう完全に出遅れたし、だから記事も紹介しないけど、松本人志休養宣言騒動に対してちょっと思う事があって。色んなブログとか見させてもらったんですけど、色々とみんな言いたい放題な感じで、実際今の松本人志の現状を思えば言われても仕方ないとは思うけど、小室逮捕と一緒で、もう周囲にイエスマンしかいないんだろうなぁって思うんです。小室さんは音楽で時代を作った人で、売上という形ではっきりと成果も見えた。松本人志は、まぁ視聴率とかもあるんだけど、本人が関係ないって言っちゃってる以上、『目に見えない』笑いで時代を作った人ですよね。売上は落ちたら気付けるけど、笑いは失くしても気付けないのかもしれない。
『目に見えない』もので時代を築き上げるって、それってつまりは松本人志のカリスマ性が時代を作ったって事だと思うんです。どう言葉にしたらいいのか分からないけれど、松本人志のカリスマ性に集まる人たちによって、その人の多さによって、時代が作られた。それなら周囲にイエスマンしかいないのなら、失った事に気付く日は来ないですよね。


松本人志を否定したいんじゃないんです。ただ、あたし達にも責任があるんじゃないかって思ってるんです。2丁目の頃、ジュニアがカリスマだった時も同じ。ごっつを毎週楽しみに見て、腹抱えて笑って、「松本人志は天才だ」と、それは認識というよりは多くの人にとっては刷り込みに近いと思うけど、囃し立てて。あの当時の松本人志が天才だったかどうかは置いといて、人をひきつけるカリスマ性を持っていたことは確かだと思うし、それに惹かれた人が何万人もいた事も確かだと思う。今の松本人志に助言をしてあげなきゃならないのは周囲にいる人たちだけれど、彼が今、裸の王様扱いされてしまっている事は、あたし達にも責任がかなりあるんじゃないかと、そう思う。