僕らは変わるかな。同じ空を見上げているよ。


オードリー若林著『社会人大学人見知り学部卒業見込』を読んだ。


私は全く人見知りをしないし、なじめないことが気にならない人間なので、残念ながら共感はしない。それでも、読み物としてとても面白かったし、年上の男性に向かって失礼なんだけど、若林が愛おしいと思えた。それと同時に、身近に若林がいたら、怖いなぁとも思った。私には分からない事で悩み、傷付く彼が、自分の身近にいたのなら、多分私は傷付けてしまうと思う。本に書いてあるほど詳しく「こうなんだ」「ああなんだ」と語ってくれれば理解できるし、愛おしいなぁと思えるけれど、身近な人間に対して、あれもこれもを分かりやすく語る事は難しいだろうし、きっと何一つ彼の事を理解できずに、傷付けてしまうと思う。
そんな自分でも、心に刺さる言葉はあった。ツイッターでの感想を見てると、それを書いている人はいなかったのだけれど、社会はみんなの言うとおりの場所だったけれど、みんなの言う通りの世界は、面白くもなんともない、というところ。若林はあの本の中で、少しずつ色んな事を学習していって、どういう行動をとるのが社会人なのか、を理解していっていて。彼が全てを理解した時、物凄くつまらない社会人になってしまうのではないか、と本を読み続けるにつれて怖くなっていった。そんな中、中盤を過ぎたあたりで出てくる言葉が、「面白くもなんともない」。からっぽになってしまったかのようなそっけない書き方は、やっぱりめんどくさくて、ふてくされてるかのようにも見えて、愛おしい。
若林自身は考え過ぎて落ち込んだり傷付いたりしていて物凄く大変そうだけど、出来れば彼にはこれからもめんどくさい人間であってほしい。つまらない社会人になんてなってほしくない。というか多分ならないと思うけど。こんなに愛しくて面倒くさい人、周りがほっとかないもん。呆れたり貶したり慰めたり諭したりしながら、それでも愛おしいと思って、人が集まって、助けてくれたり守ってくれる。人見知りだと言いながら、それでも何故かいつも周りに人がいる理由が、ほんの少し分かった気がした。


なんてことを本人が読んだら猛烈にうざがられそうだし、何が分かんだよと言われそうだけど、本を出版したんだから、みんなあれこれ妄想しちゃうのは当然なんだよ、と言う事を、また誰かに諭されて、自分なりの答えを見つけるために模索してたりしたら、なんかさらに愛おしいし、いいなぁと思います。