のんびり思い出話

に花を咲かせてまいりました。北海道旅行に来てた友人は大阪時代の友人で、いしかわが大阪を離れた後も、baseに通っていたらしいです。ライセンスとかシュガーライフとか好きだったって。シュガーライフが解散した後、カナリアのネタを見て、今はカナリアを応援しているそうな。ガーライ解散はすごいショックだったけど、カナリアで頑張る安達くんを見て、カナリアを応援しなきゃと思ったって。カナリアは安達くん流のけじめで、ガーライファンとして、それを見届けたいと思ってるって。そう言えるのが羨ましくて、切なくもあった。ガーライはもういない。どれだけ寂しくても諦められなくても。なくなった物は彼女に幸せをもたらしてはくれない。彼女はそれを分かっていて、新しい道を歩んでる。安達くんがカナリアとして歩き出した道を応援することは、ガーライが好きだった彼女なりの、今はもう存在しないシュガーライフへのけじめなのだとそう思った。ジャリのような再結成がもしガーライに起こったら、逆に安達健太郎を見損なうかもしれないとさえ言ってた。イベントとかお祭りとかでもう一度見れる、というのなら大歓迎だけど、って。シェイクダウンが解散したのはガーライよりも前の話で。プランが結成されたのはカナリアよりも前の話で。それでもあたしはまだ割り切れないでいる。今ではシェイクはあたしを切なくさせるだけで、それこそ幸せなんてもたらしてはくれない。そんなこと知っているのに。分かってるのに、それでも諦められないでいる。なんて情けない。新しい道を歩いている彼女の前で、あたしは心底自分が恥ずかしかった。



彼女は今東京在中で、カナリアやライの舞台に足を運んでいるそう。ルミネにはカナリアとライを見に行ってるだけって彼女は言った。あたしたちは2人とも、2丁目劇場が好きだった。もう面影なんてどこにもない。あの良き時代を、受け継いでいる物は今はもうどこにもない。baseにもルミネにも、どこにもない。それでもほんの少し、たまに垣間見せられるあの時代。そこにはいつも、たむけんかフジワラがいるよねって、もう理解してくれる人の少ない話が出来た今日。あたしは彼女と別れた後、ほんの少しだけ、あの頃を思い出して泣いた。




この日記を書くにあたって、タイトルにガーライのネタを何か入れようと思ったんです。ブラマヨとかライの時にはそうしてたから。なので昔の手帳を引っ張り出してきて見てたんですが、全然思い出せない。しいてあげればキューピー3分クッキングのネタが若干思い出せましたが、確かガブンチョで見たような・・・・程度でもう全然ダメ。当時はガブンチョももうほとんど見に行ってなかったし、シェイク解散(決定)の年で、精神的にそれどころじゃなかったから。手帳を見ながら、ガーライについてしっかり覚えていることがただ一つ。ババリアと同じ舞台に立ってるって印象だけは強い。そうなるように、出来ていたのかもしれません。